寛保津波の教訓を泊原発に活かせ!
2011年5月29日
渡島大島の大津波
http://nature.blue.coocan.jp/matumaeosimaoosima.htm
寛保津波。
1700年代の日本の大災害の一つ!主なもの。
1707年 富士山(宝永噴火); 1741年 北海道の渡島大島で寛保岳が噴火。津波災害を 起こす。 1783年 浅間山(天明の大噴火)等の大災害の年代です!
渡島大島大噴火で大島の山体崩壊が発生して山津波となり海に雪崩れこんだ!
そのエネルギーで大津波が発生して渡島半島日本海側から青森、佐渡島、島根まで到達した事を記す文献が多数存在する。
直近の渡島半島には30m超えの大津波が襲来、文献では約1450人の犠牲者(一部では3000人以上の犠牲者、集落全滅が多数あったと、更に、松前藩が幕府に過少報告した)
さてと、ここで原発施設が有るんですよ!泊原発が…
津軽海峡挟んで六ヶ所の再処理施設、東通原発施設。佐渡島の向かいには柏崎刈羽原発施設。
250年前の津波対策は15mを想定してます。しかし、250年前に30mを超える大津波があった地域なんです!
原発施設建設前には歴史をじっくり調べる必要が使命です。
250年前の津波は到達しているんです。
渡島半島には古老からの口伝が今でも残っているそうです。
海に浮かぶ大島が火を噴いたら、逃げろ。と…
今朝の新聞のコラムで取り上げてます。
津波により高さ2m、周囲7mの石が標高50mの高さまで運ばれていたと。
稲倉石と呼ばれていた石。
古老からの伝承で石は日本海側の河口にあり、当時の漁師達は時化でも微動だにしない稲倉石を拝み、大漁と家内安全を祈願していた。
しかし、大津波で50mもの高さまで運ばれていた。
自然の猛威には人類はちっぽけな存在です。
当時の古文書『松前津波之事』には23の村や集落を流し、2800人が死亡したと記されています。
あちこちにある津波犠牲者を供養するお寺には地蔵尊が奉られていますが、地蔵尊の背中には穴が空いています。
海中の犠牲者を銛(ヤス)で突いて引き上げた事を物語った跡だそうです。
1700年代の大災害。
2000年代に入ってからは?
…多くは語らなくてもお分かりでしょう。
備えあれば憂い無し。
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