【嗚呼大東亜戦争】
http://www.senyu-ren.jp/AA/AA.shtml
アメリカの最後通牒ハルノート
http://www.senyu-ren.jp/AA/08.HTM
硫黄島からの手紙見るから硫黄島の戦いの豆知識教えてくれ ま
http://m.mamesoku.com/c.cgi?id=2974756
「戦闘体験記」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/index.html
硫黄島玉砕
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/hondo-iou.htm
マスコミの皆さんも、まず精密型のWBCで自分の被曝量を正確にお知りになることをすすめます。 | 晴耕雨読
http://sun.ap.teacup.com/souun/5248.html
ネットゲリラ:今日は父ちゃんと母ちゃんの祭りなんや
http://portable.blog.ocn.ne.jp/t/typecast/195358/194771/38081502
北海道知事の政治資金管理団体の会長は元・北海道電力会長
http://alcyone.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=220362152&_=Dhtf
【情況は絶望的】飯館村でネプツニウム239数千ベクレル検出
http://alcyone.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=220351979&_=NeNW
終戦記念日の今日。
大東亜戦争(第二次世界大戦)
の終息の玉音放送の日が1945年8月15日の今日ありました。
二発の原爆投下の回避チャンスはこの前の年から幾つかあったのですが…
外交の大切さが痛感させられる開戦までの経緯と日本全体の考えの誘導をした報道機関の責任が未だ追求されていないのもどうあるべきかを問いかける日。
まぁあまり書きますとサヨクと言われるからね。
祖国の為に命を張った兵士、本土防衛の盾になった沖縄。空腹の中、逃げ惑った国民への哀悼を捧げます…
日本の蹂躙の歯止めを掛けたじいちゃん世代に感謝します。
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アメリカの最後通牒ハルノート
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硫黄島からの手紙見るから硫黄島の戦いの豆知識教えてくれ ま
http://m.mamesoku.com/c.cgi?id=2974756
「戦闘体験記」
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硫黄島玉砕
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マスコミの皆さんも、まず精密型のWBCで自分の被曝量を正確にお知りになることをすすめます。 | 晴耕雨読
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ネットゲリラ:今日は父ちゃんと母ちゃんの祭りなんや
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北海道知事の政治資金管理団体の会長は元・北海道電力会長
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【情況は絶望的】飯館村でネプツニウム239数千ベクレル検出
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終戦記念日の今日。
大東亜戦争(第二次世界大戦)
の終息の玉音放送の日が1945年8月15日の今日ありました。
二発の原爆投下の回避チャンスはこの前の年から幾つかあったのですが…
外交の大切さが痛感させられる開戦までの経緯と日本全体の考えの誘導をした報道機関の責任が未だ追求されていないのもどうあるべきかを問いかける日。
まぁあまり書きますとサヨクと言われるからね。
祖国の為に命を張った兵士、本土防衛の盾になった沖縄。空腹の中、逃げ惑った国民への哀悼を捧げます…
日本の蹂躙の歯止めを掛けたじいちゃん世代に感謝します。
コメント
穴沢利夫少尉 中央大學卒 陸軍特別操縦見習士官一期 陸軍特別攻撃隊 第二十期振武隊 昭和20年4月12日 沖縄周辺洋上で戦死 23歳
二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。希望を持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた”時期を失する”ということが実現して了ったのである。
去月10日,楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが,帰隊直後,わが隊を直接取り巻く情況は急転した。発信は当分禁止された。転々処を変えつつ多忙の毎日を送った。そして今,晴れの出撃の日を迎えたのである。便りを書きたい,書くことはうんとある。
然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。あなたのご両親様,兄様,姉様,妹様,弟様,みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さった御親切,全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。
今は徒に過去における長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれること,信ずる。ただしそれとは別個に,婚約をしてあった男性として,散ってゆく男性として,女性であるあなたに少し言って征きたい。
あなたの幸を希う以外に何物もない。徒に過去の小義に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない。勇気をもって過去を忘れ,将来に新活面を見出す事。あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
極めて抽象的に流れたかも知れぬが,将来生起する具体的な場面場面に活かしてくれる様,自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。純客観的な立場に立って言うのである。当地は既に桜も散り果てた。今更何を言うかと自分でも考えるが,ちょっぴり慾を言ってみたい。
1.読みたい本 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
2.観たい画 ラファエル「聖母子像」,芳崖「非母観音」
3.智恵子 会いたい,話したい,無性に。今後は明るく
朗らかに。自分も負けず朗らかに笑って征く。
昭和20年4月12日
智恵子様
第一神風特別攻撃隊葉桜隊
昭和19年10月30日 比島方面にて戦死 21歳
8名で出撃した特攻機は米空母フランクリン,同空母
ベロー・ウッドに大損害を与えた。
拝啓 たびたびのおたよりうれしく拝見いたしました。この前の便箋七枚の手紙を見ては涙がとめどなくほほを伝わりました。
何回も何回もくりかえして読みました。金送りましたが,こんなによろこんで頂けるとは思ひませんでした。神様などへそなえなくてもよろしいですから,すぐ用立ててください。少し金持ちらしくやってください。財布が底抜けにならぬ様一ヶ月に一回は必ず補給します。
私は貯金はこちらでたくさんやっていますから,送った金はじゃんじゃん使ってください。みかん着いたそうで何よりです。出来たらもっとおくりませう。
玉ちゃんにも子遣ひ出来るだけ送りますからお嫁に行く日の貯金に。
お母さんの書いてよこされたことも近い中にあるかも知れません。今度金が自由になったらゆっくりと面会にこられないですか。やがては泊まりもありますし,二十四時間の休みもありますから,ゆっくり話も出来ますし,共に寝る事も出来るわけです。汽車は酔わなければよいのだがなあ。トランク要るなら送ってもよいです。ではお体大切に,ベッドの中で
なつかしい母上様, かあちゃんよ!!
敷島隊指揮官関行男大尉は最初の神風特攻隊の指揮官。関の死後ニ階級特進した。関はその心境を語った。
「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて,日本もおしまいだよ。僕は体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中できる。僕は明日,天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで往くんじゃあない。KA(妻のこと)のために往くんだ。日本が負けたら,KAがアメ公に何されるかわからん。僕は彼女を守るために死ぬんだ」
狂気の人間爆弾。
特攻隊、神風、回天。
洗脳もあったが、人間の弱味を上手く利用した。
今日の自爆テロと変わらない。かたや、家族の為に国の為にとかたや、宗教の為に…
しかし、利用した側とされる側の顔ぶれは利用しやすい騙しやすい若者達!
こんな作戦を考える前に、何故白旗を挙げなかったのか?
国全体が口に出せない環境操作された衆人監視社会を作らせた。
これって今のフクシマの異常と合致しないか?
日本は昔から衆人監視社会だった。
1944年10月20日1000 於マニラ
「日本はまさに危機である。しかもこの危機を救いうるものは,大臣でも大将でも軍指令部総長でもない。司令長官でもない。それは諸子の如き純真にして気力に満ちた若い人々のみである。従って自分は一億総国民にかわってお願いする。どうか成功を祈る。皆は既に神である。神であるから欲望はないであろう。が,もしあるすれば、自分の体当たりが成功するかどうか,それを知りたいことであろう。しかし皆は永い眠りにつくのであるから,残念ながら知ることも聞かせることも出来ない。だが自分はこれを見届けて,必ず上聞に達するようにするから,そこは安心して往ってほしい。」訓示を終わって大西は隊員一人一人と熱い握手を交わした。
日本軍の特別攻撃隊は,航空機,人間魚雷,人間爆弾,人間機雷などが考案され司令官の命令,推奨によって組織的に行なわれたにもかかわらず,これを自主的,自発的に5000人もの特攻隊員を死なせた事は責任回避であり,英霊の自主的,自発的特攻をことさら強調しているのであれば,これこそ亡き者への侮辱でもある。
日本軍はこの特攻によって,米国と有利に交渉を展開できると読んでいた向きもあったが,米国はSUICIDE PLANE(自殺飛行)と呼びとんだお門違いであった。海軍に続いて陸軍がまるで戦果を競うように若者を特攻に駆り立てた。あくまで命令ではなく自発的,自主的特攻である。こうすれば自分達に責任が及ぶことはない。こういうことをするんだよ日本人は!昔も今も。だからちょんまげ時代と変らないんだ。
日本は戦う前に負けていた。特攻は組織として上部が連帯責任を負う気概があれば跳飛爆撃・反跳爆撃などの手段もあった。(跳飛爆撃とは爆弾を海面下に沈ませず石の水切りのような形で進行させる方法。反跳爆撃はある一定の速度・毎時360から420キロ・高度50メートルから海面に爆弾を投下すると水切りと同様の原理で飛び跳ねながら進行し命中させる方法。遅延信管を五秒に設定)1944年の時点で大元帥はじめ,大将,大本営参謀は特攻の是非を論ずることは可能であった。
彼らの死を決して無駄にしてはならない。
やるせない…