誰がなっても、日本衰退路線は変わらない
(08/23 18:42 tanpopo)

http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/pages/user/m/article?article_id=10330397

奴等は見ている 【日本は終わった】 英インディペンデント紙

http://kokuzou.blog135.fc2.com/?mode=m&no=1841&cr=1942b6840b8b130a04dded9c4901e578

民主党は国民をバカにしている 児戯のような民主代表選 狂気だ

http://www.paradigm2020.jp/blogw/moby.php?mode=show&UID=1314060583

ハイヒール女の痛快日記 前原、海江田のふざけ野郎!

http://tokyolumix.blog60.fc2.com/?mode=m&no=835&cr=49ba434d10f60b68f30f80045ca7bbae
安井美沙子(参議院議員。民主党)
https://twitter.com/#!/nekoyasui/status/105886716660948992
前原氏が出馬表明。以前、TPPについてお話した時に「GDPで1.5%しかない農業を守るために98.5%の産業を潰すわけにいかない」から推進すると真顔で言われて絶句した。農業の価値は数字じゃないだろう・・・彼が総理になったら日本はどんな国になってしまうのか、心配だ。

安井議員の心配は必ず国民に降りかかる!
前原議員の今までの実績?(笑)有るの?
口先番長とか言われてます。
宗主国は前原議員の性格は分析済み。
おだてれば何処までもおのぼりさん!
ダムにしろ、JALにしろやりっ放し。(まぁこれが実績?)
後任がケツ拭きをしているのは、スッカラカン総理となんにも変わらないのでは?
前原議員の出馬であれほど担いでいた野田議員の話題は雨散霧消。
他の議員の話題何かありゃしない!
仮にも総理の椅子に座る男を選ぶのに…
代表選挙の勝者が総理。
民主党のイカサマはこの前の代表選挙で国民の皆さんが知ってる。

今度のイカサマはどんな手立てでやるのかねぇ。

ある意味、見物です。

コメント

Missing in the field
2011年8月24日18:56

東京新聞:骨折した手で埋まった友人救った 大川小児童ら証言:社会(TOKYO Web)

http
://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011082402000033.html

骨折した手で埋まった友人救った 大川小児童ら証言Tweetmixiチェック2011年8月24日 朝刊 津波で児童74人が死亡・行方不明となった大川小学校。今も追悼に訪れる人が後を絶たない=23日午後、宮城県石巻市で 東日本大震災の津波で児童の約七割に当たる七十四人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校の被災状況について、市教育委員会が生き残った教員や児童の証言
▽被災までの行動 帰りの会が終わり「さようなら」を言っている最中に地震が来た(5年)。保護者に贈るVTR作成のため、教室で歌「ありがとう」を録音していた(4年)。友達はパニックになってピアノを足で蹴っていた。先生が落ち着いて「校庭へ避難しましょう」と言った(5年)。 ▽被災時の様子 普段使わない教室の校庭側ドアから外に出た。校庭で「山へ登るの」と聞いたら、先生は「登れないんだよ。危ないからだめなんだ」と言った(1年)。学校の近くで「大津波警報。高台に避難して」と鳴っていた。友達に「津波が来るかな」と話しかけた(3年)。教頭先生は山に逃げた方が良いと言っていたが(地元の)人は「ここまで来ないから大丈夫」と言って、けんかみたいにもめていた(5年)。校庭で吐いたり、泣いたりしている子がいた。「大丈夫だぞ」「こんなところで死んでたまるか」と話していた(5年)。放送機器が使用不能となり校舎内を回り校庭へ避難を指示した。校舎内や体育館に、逃げ遅れた児童がいないことを確認した(教諭)。 ▽被災後の行動 風がビュウと来て、津波に巻き込まれた。姉も祖父母もいなくなった(1年)。高台に向かう途中

Missing in the field
2011年8月24日19:11

津波が見えたので山側へ走った。波にのまれ左手が何かにぶつかった。ヘルメットの中の空気が浮力になり、水面に上がった。偶然にドアが外れた冷蔵庫に触れたので中に入った。舟のようになった。山に降りたら友達が土に半分埋まっていた。右手で枝をつかみながら、骨折した左手で土を掘った。2人で山の中腹に座り「助けて」と言っていると、おじさんが来てみんなのいるところに連れて行ってくれた。流れてきた「カスタードクリーム」「ミカン」を食べた(5年)。6年生から一列で山沿いに歩き、県道に登ろうとした時、前方左側から津波が来た。前にいたので津波が見え、すぐ来た道を山側へ走った。高学年のみんなは山の方へ走って、山に登ろうとしたが、雪で滑って登れなかった。そのうちに波に巻き込まれてしまった。低学年の子たちは、なんで高学年が走って戻ってきたのか分からないようだった。波に押し上げられ、山の途中で土に埋まって動けなくなった。友達が来て、土を掘り助けてくれた(5年)。津波に備え避難場所を検討した。山は倒木が懸念され適さないと判断。住民と教頭が相談し、近辺では一番高い橋のたもとへ避難することにした。校庭を出て駐車場付近で津波が来た。最後尾におり「山だ」と叫んだ。山に登ったが倒木に挟まれ動けなくなった。その後、動けるようになり、近くにいた3年児童を連れ、さらに登った。落ち葉を敷き雪をしのごうとした。松くい虫防除用のシートをはがしてくるまった。車の中で夜を過ごした。腕を脱臼しており、病院に搬送された(教諭)。 (学年は当時)


日頃の危機意識の大切さ。
釜石は小中学生の学校での死者はゼロ!(当日の欠席者が亡くなってます)

『津波てんでんこ』
古老からの口伝は意味を把握しておきましょう。

日本は地震、火山、台風、津波、と言った通常ではあり得ない程の頻度で遭遇する国です。


備えあれば憂い無し。

まぁ防災にも限界があります。
普代村と田野畑村との被害格差は堤防の高さでした。
先人が未来を懸念して堤防の高さを全村民の反対を押し切った普代村は僅かな被害。
田野畑村の堤防も世界に知られた堤防だったが高さが足りず津波が村を呑み込んだ。

最悪を予測して、安全な居住区へ移転するか、堤防を更に高くするしか自然の摂理には対処なんか出来る筈がない。

復興も利権の道具箱。
国民の監視は必要です。

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