劣化ウラン弾による被害の実態と人体実験

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/UMRC/du_human_effect.htm


http://exodus.exblog.jp/4278815/

 ■北朝鮮の鉱物資源に群がる米中韓
 ■1950年のタングステン危機と「W計画」
 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発、そのわずか2,3ヶ月で戦争に要する物資の国内備蓄量が危機的な状況になった。これがタングステン危機の始まりである。トルーマン政権は国家緊急事態を宣言し、タングステンの入手に奔走することになる。
 スウェーデン語で重い石の意味を指すタングステンは、貫通力を高めるための弾芯として1940年代半ばから戦車砲や戦闘機の機関砲などに使われてきた。1949年までの米国は、時には日本軍の目をかすめながら、蒋介石の友人であるK・C・リー率いるワーチャン貿易を通じてタングステンを入手してきたが、中国共産党の勝利によって中国の輸出先は米国からソ連へと変わる。米国は新たな供給国として韓国を選び、ソウル南東にある上東鉱山に触手を伸ばすが、朝鮮戦争勃発直後にこの鉱山が北朝鮮軍の手に落ちたためにタングステン危機が起こったのである。
 このタングステン危機の短期的な解決策として国防総省が目を付けたのが日本であった。
「陸軍のダミー会社であった昭和通商に頼まれて、昭和15年、16年の2回にわたって、当時の金で70ー80万円に相当するヘロインをヤミ価格で買い入れた。このヘロインは後に中国大陸に運ばれて南シナでタングステンと物々交換された。」
 これは、1945年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘束され、48年12月に岸信介、笹川良一らとともに巣鴨拘置所を出所した児玉誉士夫の47年7月21日及び23日の調書内容である。
 児玉は、陸軍主導で1939年に三井物産、三菱商事、大倉商事の3社の出資によって設立された昭和通商や海軍管轄の児玉機関上海事務所を通じて、戦時中にタングステンやダイヤモンド、プラチナなどを調達し、終戦直後には闇市で売りさばき、その売上の一部が自由党の設立資金にまわされていた。
 この児玉調書からタングステン・ルートの情報をつかんだ国防総省と米中央情報局(CIA)によってタングステンの元素記号Wを取った「W計画」が開始される。

コメント

Missing in the field
2012年7月25日20:56

このW計画には戦前の米駐日大使ジョゼフ・グルーの部下だったユージーン・ドーマンを中心とするドーマン機関人脈やCIAの前身のOSS(米戦略局)のケイ・スガハラなどが関与した。そして、児玉と協力しながら中国本土に隠されていた500トンのタングステンを市価の6割で国防総省に売却した。この代金と利益について、米ニューヨーク・タイムズ紙は、53年の選挙資金として日本の保守政治家に渡されたと伝えている。
 彼らは、理想主義のニューディール派が取り仕切る日本の民主化路線を激しく非難し、日本の再建には天皇制が精神的支柱として必須であり、財閥解体を即刻やめるべきだとする「逆コース戦略」を押し進めた。
 結果としてこの戦略が成功し、経済大国としての今日の日本につながるが、この背景にあったのは、冷戦時代の到来を象徴する朝鮮戦争勃発そのものであり、ジョージ・ケナンのソ連封じ込め政策によって日本がアジアの反共防波堤として位置付けられたためである。
 なお、このW計画は氷山の一角に過ぎず、CIAによる対日秘密資金工作は、冷戦が激化していく50年代初めから60年代まで広範に行われ、数百万ドルが保守政党へ、55年の保守合同以後は自民党に集中的に供与されていた。
 かつての旧ソ連が主導する各国共産党の国際組織コミンテルンを彷彿させるが、当時ソ連や中国のH2機関も日本共産党や社会党を通じた対日工作を行っており、これに対抗する狙いもあったものと思われる。


掲示板より一部分抜粋です。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索