石原慎太郎閣下

2012年9月18日
石原慎太郎閣下
石原閣下のやり捨て伝説 野次馬 (2012年9月18日 17:30) | コメント(12) 三島由紀夫という人がおりまして、切腹マニアで、しまいにゃホントに切腹して死んじゃったんだが、おいら、他にも何人か切腹マニアというのを知ってます。趣味で、時々、切腹したりしている人。一人は八切止夫という小説家で、もうひとりは早乙女ひろみという切腹ショーやっているアーチストなんだが、その三島由紀夫というのは私設軍隊を持っていた。楯の会というんだが、この「私設軍隊」を作った時には、とうとう三島由紀夫も気が狂ったか、と言われたもんだ。ところが、話はそれだけでは終わらない。 「楯の会」に百名足らずの学生を集めたことで、三島は自死へのお膳立てを整えた。そうとは知らない世間からもマスコミからも、三島はすっかり愛想を尽かされてしまった。彼の親しい友人ですら、「その悪趣味や酔狂な行動は時とともにグロテスクの度を増し、楯の会にいたってその頂点に達した」と書いている。 「荒野より」で老人のような寒々とした心境を吐露した三島が、「楯の会」では打って変わって、生来の幼児性をむき出しにしている。彼は会の発足に当たり、全員で巻紙に血書することにした。そして指を安全剃刀で切り血をコップに溜め、血書を済ました後で、皆でコップの血を飲んだ。隊員の中には、脳貧血を起こすものや、吐きそうになるものが出た。 それから彼はデザイナーに頼んで、まるで「ホテルのドアマンのような(猪瀬)」制服を作り、隊の制服にした。この制服を見て、隊を脱退するものも現れた。 そして、その楯の会の何人かを引き連れて三島由紀夫は自衛隊に乗り込んでバルコニーから意味のない演説をかまして切腹するんだが、 「ジョン・ネイスンによると、自決の翌々日、平岡家は弔問客に門をひらいた。ある弔問者が白薔薇の花束を持って訪れ、三島の遺影を見上げていると、うしろから母の倭文重がこう言ったという。 『お祝いには赤い薔薇を持って来て下さればようございましたのに。公威がいつもしたかったことをしましたのは、これが初めてなんでございますよ。喜んであげて下さいませな』 ところで、この三島由紀夫にコンプレックスを抱いていたのが、石原慎太郎です。三島由紀夫の方が硬派っぽくて、カッコ良かったからね。石原慎太郎は軟派の小説を書くキワモノ作家としてしか見られてなかった。その為、終生、三島由紀夫にはコンプレックスを抱いていたんだが、三島由紀夫の「切腹」というド派手な死に様には、まぁ、一生勝てないだろう。さて、そんな予備知識をアタマに入れておいて、石原慎太郎です。 ネットゲリラより iPhoneから送信

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