http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi056.pdf/$File/shukenshi056.pdf
サイモン・ヴィーゼンタールは、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人であり、第二次世界大戦中にはナチス党政権下のドイツによってクラクフ・プワシュフ強制収容所、グロース・ローゼン強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、マウトハウゼン強制収容所などに収容されていた。戦後まで生き延びたヴィーゼンタールは、戦後リンツやウィーンに事務所を構えてドイツ敗戦後に逃亡した戦争犯罪の疑いがあるナチスの追及に尽力した[1]。
1977年にアメリカのロサンゼルスにサイモン・ヴィーゼンタール・センターが開設された。創設者たちのヴィーゼンタールへの好意によって彼の名が冠されたものである[2]。1982年公開のホロコースト記録映画『ジェノサイド ナチスの虐殺 ホロコーストの真実』の制作に協力した。同映画はアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞に輝いた[2]。
1987年にはカリフォルニア州議会の決議によってサイモン・ヴィーゼンタール・センターの中に「寛容博物館」が建設された。同博物館ではアメリカにおける人種差別の歴史の展示、そしてホロコーストに関する展示が行われている。ワシントンD.Cにある「アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館」とともにアメリカの二大ホロコースト博物館と称されている[2][3]。
寛容博物館はホロコーストの展示場とアメリカの偏見・差別・暴力の歴史の展示場の2つの施設を中心としている[4]。アメリカ人の差別の体験の中にホロコーストを位置付けることで理解しやすくなっている[5]。またそれ以外の20世紀の大量虐殺についての展示もある[5]。ホロコーストに関する展示は大きく3つに分けられており、まず1932年から1933年のナチスの権力獲得について、ついで30年代終わり頃のユダヤ人やその他劣等とされた人々に対する迫害の激化の様子、そして大戦中のユダヤ人狩り・ゲットー・強制収容所・大量虐殺についてという順番になっている[5]。
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