石油カルテル?
2013年12月21日
【ブッシュ政権に集う悪党ども】 ディック・チェイニーとは何者? 【究極の大陰謀】
http://www.asyura2.com/07/war88/msg/836.html
投稿者 愚民党 日時 2007 年 2 月 14 日 08:02:29:
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(回答先: 副大統領の法廷証言、見送りへ=米CIA裁判 【時事通信】 投稿者 愚民党 日時 2007 年 2 月 14 日 07:48:37)
ダボス会議で講演するディック・チェイニーとは何者?【究極の大陰謀】
http://www.asyura2.com/0311/hasan32/msg/847.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 1 月 20 日
ブッシュ・ファミリーの周囲に集まる友人や仲間は、ペテン師や人殺しや芯から心のねじ曲がった連中ばかりだ。お互いにさぞ居心地が良いことだろう。そのまたとない好例が「ボヘミアの森」の仲問、ディック・チェイニーだ。フォード政権で大統領首席補佐官、父ブッシュ政権では湾岸戦争時の国防長官を務め、ジョージ・W・ブッシュの下で「テロとの戦争」がおこなわれている現在は副大統領となっている、あのディック・チェイニーである。
キャシー・オブライアンは『悦惚のうちに作り変えられるアメリカ」で、チェイニーから受けた恐るベき経験を語っている。当時のキャシーはイルミナティ=CIAによる精神操作プログラムの犠牲者で、幼い娘ケリーとともに、父ブッシュの国防長官だったチェイニーから性的、暴力的な虐待を受けた。キャシーはチエイニーの指示で麻薬密輸にも何度となく関わり、その様子を詳しく述べている。そのなかに登場するバンダル・ビンスルタンを、チェイニーは「ザ・スルタン」と呼んでいた。
このサウジの駐米大使は骨の髄まで腐敗した男で、ジョージ・ブッシュの操り人形であり、ビンラディン一族にも近く、テロリストに財政支援するハリド・ビンマフフーズなどの仲問でもある。キャシーは、娘とともにチェイニーとブッシュから受け続けた胸の悪くなるような残虐行為の様子を語っている。以下の引用はそのほんの一例だ。
ブッシュはケリーとのセツクスの様子を事細かに話して、小児性愛がどんなものかをチェイニーにわからせようとした。二人とも、薬と期待ですでに性的な興奮状態だった。チェイニーは小児セックスをしない理由をブッシュに説明するのに、白分の男性白身をケリーの前にさらして見せた。「ほら、ごらん」。チェイニーの異常に大きなペニスを見たケリーは恐怖に身を縮めて「いや!」と叫び、それを見た二人は声を立てて笑った。
ケリーを寝室へ連れて行くときブッシュは、コカインの噴霧器を取ってくれとチエイニーに頼んだ。優しいんだな、痛みを感じないように麻癖させてやるのか、とチェイニーが言うと、ブッシュは「馬鹿言え、俺のためだ」。白分が興奮している様子を野卑な言葉で語ったブッシュは、コカインをペニスにスプレーして長続きさせるのだと言った。「ガキのためかと思ったよ」とチェイニーが言った。「嫌がるところが面白いんだ」と言うと、ブッシュはケリーの手を引いて寝室へ向かった。
チェイニーは、ブッシュがケリーをいじめるのはお前のせいだから「(地獄の火で)焼いてやる」と一言って火掻棒で私の内股を焼き、ケリーも火に投げ込むぞと凄んだ。憑かれたように言葉をエスカレートさせてケリーが焼かれる様子を語り、私に深いトラウマを植え付けた。性的虐待を受ける私の耳に、寝室から漏れてくるケリーのすすり泣きが聞こえた。ケリーの声が大きくなると、チェイニーはクラシック音楽をかけた。助けを求めるケリーの声は音楽のなかに沈んでいった。
キャシーは、チェイニーから残酷な殴打を受けたときのことも語っている。キャシーはチェイニーに、トイレに行かせてくれと頼んだ。
--------------- チェイニーの顔は怒りで真っ赤になった。その瞬問私に飛びかかり、背中から壁に叩きつけた。片腕で私の胸を押さえつけ、もう一方の手を私の喉に押し当てた。私は頸動脈を親指で押さえられ、呼吸もできなかった。チェイニーは大きく日を見開き、唾を吐きかけながら唸るように言った。
「何なら殺してやるぞ。お前くらい簡単に殺せるんだ。殺せるんだ。この両手だけでだ。これが最初でもないし、最後でもない。その気になればいつでも殺してやる」。私のうしろにはキャンプ用の簡易ベッドがあった。そこへ私を押し倒すと、チェイニーは怒りをセックスにぶちまけて、果てた。
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これと同じディック・チェイニーが、今はアメリカの副大統領として、「テロとの戦争」に勝利するため空爆と虐殺が必要だと世界に号令をかけているのである。さらに特筆すべきは、その信じがたい偽善者ぶりだ。チェイニーの盟友で小児愛者のブッシュの子、ボーイ・ジョージは二〇〇二年八月、何と「アメリカの子どもを守る」ための構想を発表しているのである。 リチャード.ブルース・チェイニーは一九四一年にネブラスカ州に生まれ、ワイオミング州キャスパーで育った。例によってスカルアンドボーンズ・ソサエティの本拠地である工ール大学の派閥だが、チエイニーの場合は途中で落第し、ワイオミング大学へ進んでやっと政治学の学位を取得している。その後はワシントンヘ出てニクソン政権に入り込むが、そのとき特別補佐官としてついた相手が誰あろう、現在国務長官として「テロとの戦い」を推進するドナルド・ラムズフェルドだった。
当時のラムズフェルドは機会均等局(イルミナティ機関)の初代局長を務めていたが、キッシンジャーの仕組んだウォーターゲート疑惑で一九七四年にニクソンが辞任すると新大統領ジェラルド・フォードの大統領首席補佐官として閣僚入りした。 フォードもやはりキャシー・オブライアンを虐待した一人で、ウォーターゲートのおかげで選挙なしに大統領になったが、有権者の声を聞いていたら絶対に選ばれることはなかったはずだ、これもアメリカに対するクーデターの一例である。フォードの知力はジョージ・W・ブッシュといい勝負で、有名な「歩きながらガムを噛めない」というジョークがまさにぴったりの男だった。
チェイニーはラムズフェルドとともに閣僚入りし、最後は一九七五〜七七年までフォードの首席補佐官を務めた。まだ三〇代半ばだった。最初の心臓発作に見舞われた後(何度か経験している)、ワイオミング州下院議員に当選した。その後も再選を重ね、一九八八年に大統領に当選した父ブッシュから国防長官に任命された。
チェイニーも当然ながら「血族」の一員で、やたらと人を戦場に送りたがる。ただし、白分は絶対に行かない。ベトナム戦争のときも、学生であることと「子どものいる登録者」であることを理由に兵役免除を受けている。大統領のダビャと同様チェイニーも、確認のための上院公聴会では「召集されれば喜んで応召していた」と答えた。まあ、そんなことは絶対なかっただろうが。 一九六四年、チェイニーはリン・アン・ヴィンセントと結婚する。彼女もワシントンの関係者で、一九八六年から九三年まで、レーガン及びブッシュ政権下(実質はどちらもブッシュ政権下)で全米人文科学基金の会長を務めた。後にはアメリカン・エンタープライズ・インスティチュートの上級研究員となり(夫チェイニーも一九九三-九五年まで関わっていた)、一九九八年までの三年問は、CNNのぞっとするような「デイベート」番組『クロスファイアー・サンデー』で共同司会を務めた。
チェイニー夫人は一九九四年から二〇〇一年一月までロッキード・マーティン社の役員だったが、この会杜は当時テキサス州知事だったジヨージ・W・ブッシュが、テキサス州の福祉システム運営のために契約しようとした会杜だった。幸い、州民の反対でこれは実現しなかった。ロッキー-ド・マーティン社の副社長ブルース.ジャクソンは、ブツシュの人統領選挙では財務担当を務めた。
ディック.チェイニーの名を一気に高めたのは一九九一年の湾岸大虐殺で、あのときはイラク市民数万人の大量殺戮が遂行された。その後の経済封鎖を含めれば、現在までの死者は一〇〇万人を越える。当時の政権の顔ぶれは、大統領が父ジヨージ・ブッシュ(現在はカーライル・グループ)、国務長官がジエームズ.ベイカー一カーライル・グループ一、統合参謀本部議長がコリン・パウェルだった。
チェイニーは自分の「防衛」政策について、「アメリカの友人には武器を、潜在的な敵には武器制限を」だと語った。もちろんこれは大嘘だ。実際は「各国には格落ちの武器を売りつけておいて、あとで武装しているから危険だと悪玉に仕立て上げる。こちらはそれを口実に、最新鋭の兵器を使って民問人もろとも吹っ飛ばす」のである。
◎ビッグ.ディックの戦争・破壊・再建の超効率ビッグ・ビジネス
一九九二年の出来レースでブッシュが格下の盟友ビル・クリントンに敗れると、チェイニーは「民間ビジネス」の世界へと転進し、九年後には子ジョージとともにワシントンヘ復帰するという約束で、しはらくは別の方面からイルミナティに奉仕することになった。チェイニーの莫大な富は、モルガン・スタンレー、ユニオン・パシフィック、プロクター・アンド・ギャンブル、エレクトロニック・データー・システムズ一富豪ロス・ペローの会社一といったエリート企業の役員として得たものだが、最も重要なものは、一九九五年から会長兼CEOを務めるハリバートン石油(またもテキサスを本拠とする企業)だ。
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