石油カルテル7

2013年12月22日
石油カルテル7
 ●タリバンとの蜜月時代、ユノカル利権に群がる  ◎カルザイ、キッシンジャー、アレグザンダー・ヘイグ、もちろんチェイニー……  トルクメニスタンの独裁者であるニヤゾフ大統領はアフガニスタン縦断パイプラインにっいて、タリバン政権からも反タリバン勢力からも支援の約束を取りっけていたと言っている。トルクメニスタン政府の公式交渉担当ヨセフ・マイマンはイスラェル情報部(モサド)の「元」メンバーだった(モサドもトツプレベルではCIAやイギリス情(諜)報部などと同じ組織だ)。  タリバンは、実現すれば年間一億ドルの収人が得られるこのパイプライン計画に大乗気だったが、ユノカルがプロジェクトを成功させるためには、米国務省が公式にタリバン政府を承認する必要があった。 タリバンは一九九六年、かってはソ連を排除するために(CIAの支援を受けて)戦ったムジャヒディン各派を倒し、彼らとしては日常的な、極端な暴力によって政権を握った。前大統領ナジブラを殺して睾丸を抜き、弟とともに死体を大統領宮殿入り口の信号機から吊すことまでした。  一九九六年九月にタリバンがカブールを制圧した翌日、米国務省のグリン・デーヴィス報道官は、タリバンが厳格な解釈のイスラム法を施行することにっいて、アメリカは「何ら反対するものではない」と語った。ユノカルと提携各社は、大物を雇ってタリバンとの取引ができるように圧力をかけた。  名前を挙げれば、ヘンリー・キッシンジャー(元国務長官で四〇年にわたるイルミナティの大物操作者)、ロバート・オークリー(レーガン―ブッシュ政権時代の駐パキスタン大使)、ザルマイ・カリルザード(アフガニスタン生まれでレーガン―ブッシュ時代のアフガン問題担当補佐官)などである。後にジョージ・W・ブッシュからもアフガニスタン特使に任命されたカリルザードは、元ユノカルの顧問で、パイプライン計画に関わっていた男だ。  ジャーナリストで風刺漫画家のテッド・ロールによると、レーガン政権時代のカリルザードは、ソ連占領下のアフガニスタンで(CIAから資金援助された)ムジャヒディーンヘの武器供与を担当していたということだ。  この時期にアメリカ政府の金を使って作られたのがオサマ・ビンラディンのネットワークで、それが最終的にタリバンの政権奪取に繋っていった。カリルザードは一九九〇年代初めのディック・チェイニーによる「戦略グループ」にも参加していて、アメリカの優位性に対抗する勢力の登場を防ぐことは「決定的に重要」であり、「必要なら武力の使用も辞さない」と主張していた。  《九・一一》を受けた「テロとの戦争」でタリバンが除かれた後、アフガニスタン新政府の長に選ばれたのはハミード・カルザイという男だが、フランスの『ル・モンド』紙によれば、この男も元顧問なのである―そう、ユノカルの!  ロバート・オークリーは駐ソマリア大使と駐ザイール大使も経験し、レーガン―ブッシュの下では反テロリズムの責任者を務め、ソ連占領時代(一九七九〜一九八九年一のアフガニスタンでは、政府関係者として、CIAからの資金をオサマ・ビンラディンを含めたアフガニスタンの抵抗勢力に確実に届ける役割を果たした。後にはビンマフフーズ一族やアルアモウディ一族(オサマ・ビンラディンの資金提供者でブッシュ・ファミリーの仲間)が共同で運営するデルタ・ニミル社でも働いている。  テルタ・ニミルはアフガニスタンのパイプライン計画ではユノカルのビジネスパートナーで、先に述べたように、ユノカルとともにすでにアゼルバイジャン油田に多額の投資をしていた。オークリーとカリルザードは、ユノカル・コンソーシアムのために働くと同時に、米国務省にも助言をしていた。  さらにもう一人、一九九〇年代初めにトルクメニスタン政府のための「助言」とロビィ活動を目的に雇われた男がいる。マルタ島騎士団の秘儀を受けた男で、レーガン―ブッシュ政権の元国務長官で、元NATO車司令官で、一時はヘンリー・キッシンジャーの軍事顧問も務めた男、アレグザンダー・ヘイグである。  ユノカルはタリバンにファクス機を与えて連絡のスピードアップをはかり、ネブラスカ人学を通じた業務研修プログラムに資金提供して、タリバンの地盤であるカンダハールで、パイプラインで働く人員を訓練させた。さらに一九九七年十二月初めにはタリバン関係者をアメリカヘ送り込み、テキサス州シュガーランドにある本社で数日問、スターのようなもてなしをした(シュガーランドはブッシュ・ファミリーの活動拠点であるヒューストンにある)。

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