これは国民の多くが間違った認識しております。
その原因はマスコミメディアの歪曲にあります。
ちなみに日本に戦犯者は一人もいないからね。よく物事理解してからしゃべろうね。
*昭和28年8月 「戦傷病者戦没者遺族等援護法」「恩給法」の改正 「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者としないことにした。 決定は【全員一致】
彼らの死を戦争による公務死としたことは主権独立国家として正当な決定。「A級戦犯」も「B・C級」も関係なく公務死とした。 これは日本人が決めたこと。 サンフランシスコ講和条約第11条第2項で、 東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになってた。 日本はこれをまじめに取り組み、 国会で「戦犯」の免責を決議し、関係各国に働きかけた。 そして‥
*昭和31年3月  「A級戦犯」全員赦免・釈放
*昭和33年5月  「BC級戦犯」全員赦免・釈放 これを正式に勝ち取った!! わかるよね。 日本に「戦争犯罪人」はいない! 「A級戦犯」もいない!!! 世界中がそれで納得してる。
*昭和50年11月21日 昭和天皇がいつも通り靖国神社を参拝。 突然、社会党が「問題だ」と言い出した。 それが原因で、天皇陛下は靖国参拝ができなくなった。
*昭和60年 突然、首相の公式参拝を中国が抗議してきた。 中曽根首相は参拝をやめた。 国民はそれほど騒がなかった。 マスコミが靖国参拝を騒ぐようになった

特定アジア狩りハンター+白痴な白人
14.04.11 09:35

江沢民の無礼を忘れてはならない
平成10年(1998年)11月26日の宮中晩餐会で何があったか?覚えておいでの方も
多いと思うが、知らない方も結構いると思われる。この時のニュースを視て中国が嫌いになった方も多いはずだ。
何があったのか?それは、中国国家元首による天皇陛下に対する侮辱行為である。
この出来事を忘れてはならない。今の中共の本質を理解する上で欠かせないからだ。
この日の夜、国賓として来日した中国の江沢民国家主席(当時)夫妻を歓迎する天皇・皇后両陛下主催の宮中晩餐会が、「豊明殿」で約150人が出席して開かれた。

コメントに続きます。

コメント

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2014年4月11日16:04

この席で陛下は、「貴国と我が国が今後とも互いに手を携えて、直面する課題の解決に力を尽くし、地球環境の改善、人類の福祉、世界の平和のため、貢献できる存在であり続けていくことを切に希望しています」と歓迎の辞を述べられた。
これに対し、中山服(人民服)という平服姿で臨席した江沢民は、「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、中国人民とアジアの他の国々の人民に大きな災難をもたらし、日本人民も深くその害を受けました。『前事を忘れず、後事の戒めとする』と言います。われわれは痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければなりません」と、仏頂面で答礼を返したのである。
何という無礼、何という傲岸不遜な態度。日本国の象徴である天皇陛下の前で、相手国の元首が取る言動ではない。こういう厚顔無恥な元首は江沢民が最初で最後で
ある。
1992年に訪中された陛下は、「わが国が中国国民に対して多大な苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」と最大限のお詫びの言葉を述べられている。その事実を踏まえていながら、宮中晩餐会という特別な席で常軌を逸した発言を平気でしたのである。
これは、江沢民が外交儀礼を知らないとかいうレベルの話ではない。まさに中共の
本質、中共の対日観の発露なのである。
この晩餐会に臨席した故中川昭一氏(当時農水相)は、後日、「天皇陛下の御前での江沢民の傲慢な態度を見て、我慢ならなかった」と語っている。
このような人物が、つい最近まで最高指導者であり、今も隠然たる力を持っていると
いわれる国と、どうやって友好関係を築くというのか?
江沢民は、翌27日の小渕首相(当時)主催の晩餐会でも「前世紀末から日本軍国主義がいく度も中国を侵略する戦争を起こし中国人民に巨大な損害をもたらした。歴史を
教訓とし悲劇の再発を防止してこそ、友好を発展させることができる」という答礼を返している。
このような非礼極まりない江沢民に、日本政府は3900億円もの円借款をお土産として持たせたのである。帰国後江沢民は、歴史問題で徹底的に日本を叩き、謝罪のしるしとして経済援助を3900億円も取ってきましたよ、と自らの実績をアピールしたことであろう。
何ということだ。私は当時のニュースを視て憤慨した口だが、改めて調べ直してみて、更に怒りが大きくなった。

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2014年4月11日16:05

ただ、実はこの頃から、我が国の対中外交の変化が始まったことも事実である。小渕首相は江沢民との首脳会談で、「三つのノー」(注−1)や「日米安保条約から台湾条項をはずす」ことを共同声明に入れるという中国の要求を拒否した。
「過去に対する中国への謝罪」を共同声明に入れることも拒否し、口頭での謝罪にとどめた。政府開発援助(ODA)も、それまでの「5、6年ごとに総枠を決める」というやり方から、
他の国と同様に「1年ごとに額を決める」方式に変更し、金額も減らすことで合意した。
これらに怒った江沢民は、3900億円もお土産をもらったのに、何と共同声明に対する
署名を拒否したのである。ここまでくると、何と言ったらよいのか言葉が思いつかない。
この陛下を侮辱した傲岸不遜な江沢民の石碑を建てようとした政治家がいる。「郵政民営化に関する特別委員会」の委員長を務める自民党の二階俊博である。
二階俊博は、自らの選挙区である和歌山県田辺市の新庄総合公園という所に、江沢民が書いた「登高望遠睦隣友好」という「書」と、江の「重要講話」が中国語で刻まれた
石碑を建てようとした。
石碑建設を機に、南紀白浜空港に中国からチのャーター便を誘致するのが目的だった。石碑の正式な名称は、「日中国交正常化30周年記念碑」という。2003年の話である。
しかも二階俊博は、「江沢民碑」を全国に建立するための呼びかけも行っていた。新東京国際空港公団、東京駅、青森県、福岡県、大阪府などから申し出があったという。
にわかには信じがたい話だが事実である。

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2014年4月11日16:15

1994年6月に中国に弱い村山首相、河野外相の内閣が出現したが、同年8月愛国主義教育綱要が発表され、その第15条は「愛国主義教育の重点は広範な青少年にある」となっており、更に1995年6〜9月には終戦50周年記念愛国主義キヤンペーンとして中国全土に大々的な反日キャンペーンを行った。これに対して米人ジャーナリスト・クリストフ氏が日本に注意したが、内閣を始め、中国駐在の大使館をはじめ新聞社もすべてこれを無視した。このため一般の日本人が知らぬ間に中国の若い層には嫌日感情が高揚し、特にパソコンのメールなどでは激烈な反日感情が投げつけられているようである。
日中双方にとって、今となってはあまりよくないように思える代表・指導者がいた時代で、これから約10年にわたって、日本と中国はあまり良好でない関係になります。
↓ここで気になるのは「愛国主義教育綱要(愛国主義教育実施綱要)」という奴なんですが、なんと! 「はてなダイアリー」のキーワードに日本語訳が掲載されていました
d.hatena.ne.jp/keyword/%B0%A6%B9%F1%BC%E7%B5%C1%B6%B5%B0%E9%BC%C2%BB%DC%B9%CB%CD%D7?kid=57733
すごいよ、登録した人!
中身はご覧になればお分かりの通り、「愛国心教育」で「反日教育」ではありません。
とはいえ、産経新聞にのった鳥居民さんの話。
↓中国の反日感情 江沢民氏が教育 近現代史研究家鳥居民さん指摘  “敵役”作り国民不満かわす
www.history.gr.jp/news/040807_10.html
 「現在の反日感情の淵源(えんげん)は、中国共産党が一九九四年九月六日付の人民日報に発表した《愛国主義教育実施綱要》にあります。これをもとに翌年から、青少年を重点対象にして、徹底した反日教育があらゆる手段を通して実施されました」
 《愛国主義教育実施綱要》は八項目四十条からなる。
 八項目の中でもっとも重要なのが第三項目だ。そこでは「愛国主義教育は人民全体の教育であるが、その重点は広範な青少年にある」として「党の基本路線を教え、中国近代史、現国の状況を教え、中華民族の伝統美徳と優秀伝統文化を教えるように努める」と説く。

Missing in the field
2014年4月11日16:17

 綱要が公布された翌年からテレビでは連日抗日映画が放映され、各地では抗日記念館の建設が進められた。
ふーむ。
次に、これ。
↓The Globe Now: 作られた「反日」
www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog356.html
 中曽根首相が8月15日、靖国神社を参拝すると、?小平、胡耀邦は批判を抑えたが、長老の彭真は自民党田中派訪中団に対して、「中日戦争で2千万人もの犠牲が出た」「私の知り合いの息子は日本軍に熱湯の中で殺された」などと激烈な日本批判を展開した。
 中曽根は胡耀邦を救おうと、翌年の靖国参拝は見送るが、それも一時しのぎに過ぎなかった。学生たちも「民主化の旗手」胡耀邦を応援しようと、全国の大学で民主化要求のデモを展開したが、これがかえって災いした。87年1月、胡耀邦は「ブルジョア自由化」に断固とした処置をとらなかった事を党拡大政治局会議で批判され、辞任した。罪状の中には、訪日の際に「独断で日本の青年3千人を招待した」事も挙げられていた。
このテキストの中の「長老の彭真」という人物が気になります。江沢民の権力掌握(胡耀邦追放)の背後には、長老一派の存在があり、それが現在の反日思想を生んだ・支えている、ということなのでしょうか。
最後に、テキスト的に一番面白かったところはここでした。
↓「狭い民族主義」に陥った愛国主義教育運動
www.21ccs.jp/china_watching/Directors_watching_04.html
 江沢民は1995〜96年の台湾海峡でのミサイル演習を通じて、解放軍を掌握するとともに、台湾当局に対して、高圧政策を展開することを通じて、為政者の権威を示そうとした。台湾問題は愛国主義教育を推進するうえで、恰好の教材となった。台湾が日清戦争を通じて割譲されたことは誰でも知っている。そこから台湾独立批判は、直ちに日本当局批判に結びつけることができる。こうして台湾独立派およびこれを支持する日本軍国主義を仮想敵国扱いする江沢民戦略が固まった。1998年の訪日前後の事態については、細かな検証を必要とするが、おおづかみいえば、愛国主義教育運動を推進するうえで必須の「反面教師としての日本軍国主義」の一語に尽きるであろう。
ここで悪者が必要になったのです。戦犯者と言う。

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