大陸のパワーバランス
さて東南アジアと華人の関係を。   その説明にはどうしても客家と財閥の話が出てくる。 客家も含む、中国の派閥を、まず説明しようかね。   北京閥 小平(グラントリアン)、李鵬(イルミナティ13血流)、ここら客家。 周恩来(グラントリアン)ここらを北京閥とし、共青団派の胡錦濤(コキントウ)も、こことした場合、まあ北京閥の流れを引継いだともいえる。 胡錦濤・温家宝政権は、小平(1997年死去)を恨んでいるそうだが。 それぞれのルーツ、親日派の胡耀邦(一部では客家説)と、趙紫陽を貶めたのが小平らしいからね。   で、対立図式で語られる上海閥は江沢民。上海閥の客家をいうと陳丕顕とか。しかし、そもそも北京(中央)への上海閥の進出を許したのは、小平が江沢民を後継者に指名した事が大きい。 で、小平=北京閥とするのは、一見おかしいかと思うかもしれないが、李鵬→陳希同という路線が北京閥の形成であって、それ以前、つまり小平の上海閥を推す以前までは、李鵬自身の後ろ盾が小平だったわけ。 ここらの中国の伝統=裏切りの歴史で、李鵬と小平の話、これは1989年の天安門事件あたりの話だね。     ここらへんは、なぜ北京進出が困難だった上海閥が軍部と中央で進出できたか?という理由と同じわけです。しかも小平の推薦だからね。   ここは、俺個人の判断だが、さらに突っ込むと、サッスーンとの繋がりが深い中国国民党の蒋介石(ロス茶)や、周やのグラントリアン路線と、小平自身が構築していた客家本流との対立からであると思う。 語学力による南部から中央へが客家の力の源泉でもあったのに、直接客家ではない上海幇の進出までも確定的にしたわけです。 この客家の足場を、客家である小平が切り崩すような理由ってのは、ここらへんからだと思う。      北京閥の張本人が、上海閥を進出させた理由、それは漢民族、客家同族意識と、フリーメーソン製の共産主義との考えが剥離し、仲裁案として上海から持ってくるしかなかったと推察できるわけです。 失脚のたびに客家路線に助けられた小平は途中から、客家の立場でなくイルミ路線で上海閥を担ぎ出して来たと言う事。   この対立は、現在は、リー・クァンユーが客家本流なわけだが、「反共主義ならぬ、反共産党」を掲げていた(北京と1990年に和解するまでは)のと同じ理由であると俺は個人的に思っている。 今は和解してそうだけどね。 一説によると、江沢民を後継者とする代わりに、さらに、その後継も小平が指名してあったとも言われる。 それが、天安門事件で失墜した胡耀邦をルーツにもつ、今の胡錦濤だと。 話としては通るが、後継者のは上海閥、でも次は、胡錦濤みたいな「口約束」だけで、うまくいかないと思うんだけどこの話は、日本の天皇すり替えにおける「明治=南朝」で入れ替えるから、「大正=北朝と融和」みたいな、「替わりばんこ約束」を思い出したよ。 で、実際日本ではうまくいかなかった。中国では尚更だと思うのだが・・・。 先ほど、小平と胡錦濤のルーツ胡耀邦(共青団)の「恨んでる話」をしたが、胡錦濤の政治局入りという大抜擢が、小平によるものだったのである。 おっと、こうやって説明してくと長すぎるね。 では、客家の話に戻る。 広州閥、これを形成したのが葉一族。(客家) 中国共産党の元老である葉剣英と、その息子の葉選平。 葉剣英は、中国人民解放軍の創立者でもある。 そして、中国国民党とも関係が深かった。 抗日(アンチ日本)より政敵排除の方向性をとった蒋介石→つまり中国共産党排除。これを不服とした国民党の張学良(父親を日本に殺されてる)と、この葉一族が連系、つまり国共連系で1936年に蒋介石を拘束したのが、この派閥である。    こいつらの息のかかった広州軍が、蒋介石への反旗、→張学良による拘束。(アメリカと浙江財閥の3姉妹次女の宋美齢の活躍により釈放)   この中国共産党と中国国民党の連系→抗日路線へ繋がるわけ。で、これが「日本との戦争終結→内戦」までは、中国の国民党の支配として繋がる。   ここらへんが両党の反日合戦へ繋がり、日本からの支援を受けていた孫文や蒋介石の路線が、反日路線へと進んだ理由。 逆に日本はサッスーンの麻薬利権を里見甫や陸軍が奪う形になるわけ。     この広州閥の最近のことで言うと、上海閥(江沢民)にも疎外され、改革開放の中枢地域を広州・シンセンから上海へ移行させられて、ここに上海閥VS広州閥もあるわけ。   そそ。北京閥(少ない+共青団派)上海閥もあるわけで。   さすが中国。群雄割拠なわけですな。   さて北京、上海、広州のメインの3つをあげたとこで、やっと中国以外の国も含めた具体的な財閥の話に入る。サッスーンの話からするか。   ロスチャイルド系アジア担当とも言えるユダヤ財閥サッスーン家は、もともとはイスラエル亡国後に、スペインのグラナダを経てギリシャのサロニカに流れ、十六世紀にはイラクのバグダッドでシルクロード貿易で巨万の富を得ていた。   1831年、バグダッドで生まれたディビッドがインドのボンベイに「ディビッド・サッスーン商会」を設立これが英国東インド会社による阿片の専売権を受け持つ事になる。   で、英、印、中国(清)の三角貿易で阿片戦争が起きる。 英国の勝利、上海、香港を本格的拠点として、阿片にとる欧米のアジア進出の図式は決定的なものになる。 その代理店が、当時の上海で支店「E・D・サッスーン・カンパニー」を開いていたサッスーンなのである。 で、アヘン貿易の利益をプールする役割を持ったのが、ジャーディン・マセソン商会、ベアリング商会などと共に作った香港上海銀行、今のHSBCである。サー・フィリップ・サッスーン。   簡単に、平たくして言うとこんな感じ。     しかし、サッスーン=アジア進出のロスチャイルド組織は、イオリア・シュヘンベルグ・・・・じゃなかった、ショーン・アイゼンベルグによって乗っ取られる事になる。 イスラエルの諜報組織、モサドを作った一族であるアイゼンベルグは、ロスチャイルド子飼いの部下、戦前から中国アヘンを仕切って来た中国在住のサスーン一族を皆殺しにしているわけです。   この時、阿片ネットワークの乗っ取りも行われ、これは当時の関東軍及び、日本人も関係している。中国阿片王である里見甫である。そして旧三井と三菱の軍事産業のところが、この乗っ取りに協力したわけである。 ここらへんの一部は、ハリマンと満鉄の関係に繋がります。 アイゼンベルグ社の大株主が、アメリカの副大統領をつとめていたディック・チェイニーであることでも、アメリカ軍事産業=ロックフェラー=アイゼンベルグの図式になっている証明でもありますね。  ここらへんが上海=サッスーンだったのが、上海閥=ロックフェラー陣営(アジアではJもかなり混じっている)となった経緯です。 ちなみに、シャンプーの「ヴィダル・サッスーン」は、60年代ロンドンでモッズを流行らせたユダヤ系カリスマ美容師のヴィダル・サスーンからきていて、このサッスーンと同族である。日本ではP&G。そういえば、冬ソナペンション=統一教会も報道した時にP&Gがスポンサーだったな。 で、そのシャンプーのCMをやってる安室奈美恵などが所属していた「沖縄アフターズスクール」は、サッスーンから麻薬利権を奪い取った日本陸軍、それと関係が深い昭和通商の牧野雅広の息子が作った芸能プロダクションという不思議な話であるそうな。  この乗っ取りがあったために、ロックフェラー陣営がJとD混ざっている状況にもアジア、上海やら香港はなっているわけです。 江沢民(上海幇)の息子、江綿恒がゴールドマン・サックス勤務とかね。 サッスーンからアイゼンベルグに乗っ取る際は、赤幇や青幇もサッスーンを裏切ってるわけです。     この白人支配の間接統治が華僑であり、その中核をしめるのが客家である。 この乗っ取られはしたが、サッスーン財閥やオットー・ウルフ財閥(仏)などによって出来た金融システムは、華僑人脈(客家)のアジア中央銀行グループなどのコミニティに継承されている。   サッスーンからのアイゼンベルグの乗っ取りが成功したのは、「日本の協力」とともに、サッスーンが中国共産党ではなく、中国国民党よりであったからとも言われている。 フグ計画の際には、サッスーンは蒋介石を支援し、日本との対立は激化したわけです。 サッスーンからアイゼンベルグ、日本陸軍が乗っ取った時期は、1940年頃であり、その当時、新日鉄の会長であった永野重雄の娘とアイゼンベルグは結婚していたりします。   この満州族(日本支援)に対して、サッスーン系が力を失ったのにも理由があります。 この根底にも漢民族にとっては、清朝という満州族支配(ツングース)=日本支援の図式は、自身の国ではなく、あくまでも対立図式であるということです。 この民族対立の図式は、「正統な漢民族」を自称するマイノリティ、客家も同じで反清復明を掲げている。   つまり、清も満州支援の日本が嫌いだったわけです。 清の官僚、袁世凱を中心とする北洋軍閥と中国国民党が対立した際、満州国を中国国民党が黙認する形になり、それが結果として漢民族勢力や客家の支持を失いました。 サッスーンは、阿片戦争で、この清(北洋軍閥も)と繋がっており、そして中国国民党よりの立場でしたので(双頭)、その両方が「漢民族として好ましくない態度をとった」ということで、サッスーンと客家勢力の対立図式になってしまったわけで。そこで結果的に中国共産党が、のし上がる形になるわけです。 で、アイゼンベルグと日本の「中国麻薬利権の」乗っ取りがうまくいったと。   だから、その部分では客家は「清やサッスーンに対して、日本と協力して麻薬利権乗っ取りをしている」わけです。 しかし、この中国共産党がのし上がった経緯なども「反日である事が必須条件」みたいになってしまったわけです。漢民族、そして客家の支持を得る為にね。 そそ、中国共産党と中国国民党、「どっちが反日か競争!」みたいになっていたのは。そこは漢民族のお話ということです。 反清復明という都合から。   どっちも、日本留学や日本亡命だらけなのにね。     その漢民族の中でも対立があって、明らかに騎馬民族から名前を取ったと思われる「毛」「胡」「馬」などの北方の騎馬民族っぽい苗字と、「李」や「葉」、「習」、「劉」などの苗字でまた対立があるんだけど。 ちなみに客家は「正統な漢民族」という主張で、後者です。 騎馬民っぽい名前は少数派で、タイガーバームの客家、胡文虎ぐらいですかね?     戦後の日本では、自民党が勝共連合という統一教会系の朝鮮族(慶尚道)に支配されていたのと同じように、東南アジアにおける「間接統治の番頭」が華人であり、その核が客家なのである。     これらが漢民族の主張として形成していった部分を忘れてはならない。   客家のための新エルサレム、シンガポール。その独立のきっかけを作ったマレー人優遇政策をしたが同じく華人に支配されてるマレーシア、そしてインドネシア、タイ、そこらへんは、全て華人が支配していると考えてよい。   次回は、そこらへんと客家の話をしていってみることにする。 銀行システム支配でもわかるとおり、客家=ロスチャイルド系だが、客家がサッスーンを潰したとも言えるのである。 それは、客家と共産主義の中の人との対立と同じ物だし、毛沢東や蒋介石のように、TOPに客家を置かない理由と同じ物でもあるわけです。      余談だが、漢民族を意識する中国で、希少種、親日という胡錦濤がTOPにいるわけです。 ウイグルやチベットの騒動が置きた時に、うまく利用できなかったことに日本の外交の下手さを感じてしょうがない。   2010年

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